カンボジア通信―合気道事始めイン・カンボジア
工藤 剛
神さまからのチャンス。
掴むか掴まないかは自分次第。
でもこんなチャンス二度とないだろう。
むしろこのチャンス、この一回、を全身全霊で受け止めたい。
それでこそ「今がすべて」
おおさわ門下の真骨頂だろう。
沖先生曰く「自分の損得、好き嫌いを考えず、すべてのことを感謝して、自分を神に捧げる。いわば「おまかせ」の境地になる。もちろん、このまえには、自分を統一して極限まで努力することは言うまでもない。ただ放下するのでは、なまけものにすぎない。捧げるとは、はからい、自己中心、利己主義の心を放下して、自分を真実に捧げることである。」
「私は真理探求以外の、地位、名誉、金すべてに無関心だ。しかし、誰もが私のようになれとは言わないし、またなる必要もない。世界中の人が真理に目覚める時代も来ないであろう。ただ、この世には聖的な世界があるということを知っていただきたいだけだ。」
「なる必要がない」と言われると、あまのじゃくだから、なってやりたくなるね!
今日居酒屋で語ったような「性的な世界」を踏まえて…
小さい頃は神さまがいて
不思議に夢をかなえてくれた
やさしい気持ちで目覚めた朝は
おとなになっても奇蹟はおこるよ
カーテンを開いて 静かな木洩れ陽の
やさしさに包まれたなら きっと
目にうつる全てのことはメッセージ
こんな歌があったね。
彼女の懐で目覚めたボンヤリとそこはかとない幸福感に包まれた、そんな起き抜けのおまかせ感。
一瞬時が止まったような、先生の入り身投げに包まれた、絶大な信頼感と身がすくむような緊張感に身を委ねたおまかせ感。
「我を張っては何も見えんのじゃ」
奇蹟って本当に起こるんだね。