悪意がまったくなくても、むしろ善意であっても、人を傷つけてしまうことがある仕事。
絶望を感じる時がある。
いたたまれず泣きたくなる時もある。
こんな厄介な仕事いっそのことやめてしまえと思う時もある。
正直に言えばね。
冷静に考えてみれば
技術の未熟さ
判断の甘さ
原因はその二つに尽きるのかもしれない。
それは真摯に受け止め、さらに精進していかなければならない。
一方で、他の多くの人より無茶な指圧はしていない自負がある。
むしろ業界のスタンダードから言えば弱々しいくらいだろう。
僕は体重もなければ腕力もない。
派手な矯正をするでもない。
指圧の3原則に愚直なまでに忠実な方だと思っている。
それなのになぜ?と思わなくもない。
自分ではマイルドだと思っている自分の指圧が大きな変化を起こす。
それも悪い変化を。
良い変化とは何かと問われても僕は今答えることはできない。
治療家が「治す」のか、ご本人が「治る」のか、よくわからなくなってきた。
僕が「変化させた」のか、ご本人が「変化した」のか判然としない。
病気になったのは本人の生き方に原因がある、という考え方がある。
偏見の余地をはらみながらも、「病は気から」「心身一如」などの思想に触れれば、受け入れられる考え方だ。
この世の出来事には無駄がない。必ず意味があるものとすれば、
施術者と患者の双方にとって必然的な結果なのかもしれない。
「人様をこんな目にあわせてしまった」と悲観しても、
「こうなったのはあなたのせい」と楽観しても、
いけないのだろう。
事実をありのままに受け止め、今与えられることに最善を尽くす。
「強く押す」という強迫観念があった。
「感謝の気持ち」が薄れていた。
今日僕は師に出会った。
すべて見透かされていたようだった。
ここ最近続いていた「災難」が、今日この日を迎えるために「機会」だった。
「もうすでにあなたは一歩踏み出した」
「今を一生懸命生きなさい、道はひらけるから」
背中をおされた気がした。
見えるモノに対するこだわりが少し減ったような気がした。
心のわだかまりがなくなった。
明日からの指圧が変わるだろう。
それは僕自身の変化だ。
もう怖くない。