臨床において、仙骨に触れればその人の性生活をだいたい推し量ることができる。
また僕は手指の爪に着目する。
無造作に伸びていれば豊かな性生活は望めない。
十分に愛撫できるはずがないと考えるからだ。
若いカップルが治療に来ることがある。
彼女になんらかの不定愁訴がある場合、僕は彼女一人に原因を求めない。
稲作をはじめとして肉体を酷使する労働が皆無となった現代、
全身運動に占めるセックスの割合が増大しているのではないかと睨んでいる。
そうなると彼女の冷えきった身体は、即座に心身の愛情不足を如実に表すにちがいない。
10代20代の若者である。
毎日でもあっていい。
むしろ問題は回数ではない。
現代の万般を貫く風潮。
即ち何かしら働きかければ、すぐさま白黒ついた結果が出るというインスタントな思考である。
それは幻想以外のなにものでもないのだが、意のままに支配しうるテレビゲーム世代には、
Aボタンを押せばジャンプする、というくらい簡単で当たり前の感覚なのだ。
話を戻せば、挿入至上主義、射精第一主義とでも言えようか。
心身の不調は冷えに起因するというのは定着してきたが、
からだかほてり、からだの中から燃え上がる情熱が本当の意味で心身を満たすという観点を忘れてはならないだろう。
お互いの肌に触れ体温を感じながら徐々に息を高めていき、
勢いその頂点で絶頂を迎える営みにこそ醍醐味があって、
受精ありきのいかにも生物学的な射精に帰結していては、
たとえ快感が伴おうとも刹那的なカンフル剤でしかない。
根本からじっくり体質改善していこうとするならば、相応のプロセスを経ることを忌避してはならない。
むしろそれを楽しむくらいになりたい。
誰もがそれを理想としているにちがいない。
しかし資本主義の世の中で時間的な余裕も精神的な余裕もなくなってしまったと言う方が正しいのかもしれない。
我を捨てれば射精は執着するものではなく、忘れた頃に死角から、虚を衝くようにして、足りないところを補うようにして、ふいに襲ってくるものなのかもしれない。
欠くところのない円満という概念には、互いに補うという観点が不可欠だ。
挿入すらしなくてもいい。
究極的にはそんな境地に立ててこそ、持続可能な幸福感を伴った真の快感に巡り会えるのかもしれない。
行往坐臥一切の時勢、是れ精神的セックス…とな。
今の僕には無理ですけどね…(^^;