仕事の日は昼と夜まかないが出ます。
ゲストに出す自然食の残りですから、当然毎食玄米になります。
入所の日はおめでたいということで小豆とともに炊いて赤飯風に。
中日は大豆入り。モチッとした食感が美味。
最後の日はシンプルに玄米のみ。
玄米と聞くとあんまりおいしくないんでしょと敬遠する方もいますが、それは炊き方によると思います。
白米と同じように炊いてはパサパサしておいしくないでしょう。
職場では1日水に浸した玄米を圧力なべで炊きます。
この方法が最もおいしい炊き方でモチッとして甘みがあります。
家庭に圧力なべがなくても、炊飯器で白米より多めの水に半日から1日水に浸し、玄米モードで炊けば圧力なべに遜色なく炊けます。
僕は夜のうちに炊飯器にセットして朝炊けるように予約します。
それほどめんどくさくないです。
毎日玄米を食べていると、たまに外食したときに白米を食べるとなんか味気なく感じてしまいます。
玄米は健康にいいから食べるというのでは健康のためにならないのではないでしょうか。
この独特の歯応えと香ばしさを味わってこそのように思います。
なぜ玄米なのか。
その筆頭にあげられるのは玄米に含まれるフィチン酸の効果でしょう。
フィチン酸は放射性物質、水銀、鉛などの重金属ともよく結合する性質がある。つまり農薬や公害物質と結合して体に吸収させないで、体外へ毒素を排出するのです。
長崎で被爆した人が玄米食で無事だった例は有名です。
その他にもガンマーオリザノールは脳神経をよく働かせる。
細胞に活力をつける。
内臓機能の働きを強める。
イノシトールは肝機能の働きを強める。
毒物、老廃物を出す。
などがあります。
一方、酸性で有効成分をぬきとった白米や肉、白砂糖、人工甘味、食品添加物入り食品を中心とした生活をしていると血は酸化され、有害物質を排泄できず体内に残してしまうというわけです。
なにより軽い口当たりの白米には肉やこってりしたおかずが合います。
それは味の問題もありますが、白米では足りない栄養を補うためでもあるのです。
栄養をたくさん含んだまわりの部分を捨ててしまったかわりに、高価で高カロリーでハイリスクなおかずが必要になった。
経済的にも健康的にも損な選択です。
とまあ理屈はいろいろありますが、僕が玄米にひかれる最大の理由は、玄米と白米、各々水に浸し時間を経たとき、かたや生命の息吹、芽を出すのに、かたやカビが生え腐るという事実です。
生命の力をいただいて、自らの生命に変えるのが食事の本質なはずです。
土に触れ、気付いたことがありました。
巷に溢れる力のない野菜。
化学肥料と農薬漬けで、水っぽくボテッとして、味も栄養もない。
自然で育った野菜は、ギュッと引き締まって味が濃い。
それはみなぎる生命の力がギッシリつまっているからです。
スーパーにならぶ異様なまでに形の整った野菜を見て、現代人に似たりと思ってしまうのは考えすぎでしょうか。
今日たまたま百姓道と題された文章が目に留まりました。
これこそが人間の生き方です。
現代をとりまく様々な弊害は、人間が人間の生き方から逸脱したからに過ぎず、その責任は自分たち傲慢な人間にあることを知らなければならないでしょう。
世界を見渡せばもうそういう時期に来ていると思うのです。
『限度を知り、多くを望まず野山海川の命を通して自然と共振し、愛を育み命のつながりを守る心豊かな生き方。今の経済に流されることなく、農のある確かな暮らし。
嬉しい・楽しい・幸せ・ありがとうの気持ちで、急がず、頑張らず、無理せず、今、目の前にいる人を大切に。』