天高く晴れわたったこの良き日。
学生時代の友人の結婚式に招待されました。
少し前に彼からメールがあり、披露宴の乾杯の音頭をとってくれないかと頼まれました。
すかさず電話をかけ、
「えっ!そういうのは上司とか偉い人がやるんじゃないの?」
と、若輩には荷が重いことを伝えたのですが、
「部活の飲み会みたいに気軽にやってよ」
と取り合ってくれず、おめでたい席でもあるので断るのも悪いと思い直し、結局、謹んで引き受けることにしたのです。
とはいうものの、結婚式というかしこまった場で人前に立つなんて初めてのことで、その日から交感神経が優位な日が続いていたのです。
いてもたってもいられず、すぐさまアマゾンでスピーチのハウツーや文例集を買いあさり、研究生活に入りました。
これぞインドア派の真骨頂といった手段ではありますが、何もしないよりはいくらかましです。
ある本にこう書いてありました。
「Your happiness is My happiness!」
あなたの幸せは私の幸せ
つまりあがるというのは自分がどう見られているかということばかりに気をとられた自己中心的な考えから出てくる現象であって、本当に心から二人を祝福したい、二人の魅力をみんなに伝えたいという熱意があれば、あがることなく、また原稿を丸暗記しなくても、思いが言葉になって自然とつむぎ出されると。
その通りだなと思いました。
でもまあ、主賓のスピーチの後、しびれを切らしざわめく中での乾杯だ、短めにサラリとやればいい。
祝福したい気持ちをもって与えられた役目を果たそう。
この頃になるとしっかり努めようという前向きな考えに変わっていました。
いざ当日。
それでもやはり僕も人の子、緊張します。
膀胱の許容量をはるかに下回る尿量でありながら尿意をおぼえトイレに。
ネクタイを微調整し、股関節と肩胛骨のストレッチをしました。
心身一如、そうしているうちにも手が冷たくなり口が乾いてきます。
末梢血管の縮小、唾液の粘性が無情にも加速度をつけていきます。
こんなとき隣にいる旧知の友人は気楽なものです。
「一杯ひっかけたらどうよ!」
あなたにひっかけましょうか?と。
開宴です。
席次表を見て仰天しました。
最前列ど真ん中!
主賓?
そんなわけないでしょうよ!
同期の桜ですよ新郎とは!
席につくと司会者が寄って来て、今日の段取りの説明を。
「新郎新婦入場の後、出番です。」
え〜!!!
聞いてないよ!!!
今まで出席してきた親戚の結婚式を思い起こしても、媒酌人、そして年長者やお世話になった先生など、社会的地位のある人のありがたいお話があって、乾杯じゃありませんか。
「そういうのないんですか?」
「はい、ありません」
僕一人から始まる披露宴ってどうなのよ?
「一言と言わず二言でも!」
時間はたっぷりとっておきましたよと言わんばかりの満面の笑みで司会者が僕に目配せします。
「用意してません」だなんてこの期に及んで言えますか?
マニュアルには乾杯の挨拶は短ければ短い方が良いと書いてあったではないか!それもメインのスピーチがあっての話。
この披露宴を祝福のうちに盛大に盛り上げようとする100人に近い親戚縁者、友人の熱い視線。
一生に一度の大イベント。
だれが僕の弱音を聞いてくれますか。
死んだ魚の眼をした僕は、今まさに人生最大のピンチ、今後二度とありえないだろう背水の陣。
知識や学歴ではない、僕の好きな「人間力」が、まさに今試されているのではなかろうか!
壁は高ければ高い方がよい、登った時気持ちいいもんな。
そんな青臭い情熱を僕はまだ忘れちゃいない!
盛大な拍手とともに羽織袴と文金高島田の輝かしい二人が入場する。
着席間もなく、シャンパンが注がれ指名される。
給仕に椅子をひかれ、マイクの前に立つ。
Your happiness is My happiness!
無我夢中で話した。
それはさながらタモリの弔辞のように。
とまではいかないだろうが、頭の中の白紙にこの瞬間書きながら読む暴挙。
とにかく「思い」だけを頼りに、たとえ文法が整っていなくても、滑舌が悪くとも、以心伝心、思いは人に必ず伝わるものだという信仰に近い確信を胸に話し続けた。
乾杯!
声高らかに発声する自分に気付いた。
今となると何を話したのかよく覚えていない。
テーブルを同じくする旧知の友人の表情に目をやった。
思いは伝わったようだった。
ビールをすかさず二杯流しこんだ。
もう怖いものはない。
天の配剤に、そして新郎新婦のはからいに感謝。
末永くお幸せに!