古典的と言うなかれ。
この青竹踏み、僕が今一番注目している健康法。
不健康な人は足が固い、臨床の現場でつぶさに感じる事実だ。
ボテッとして鈍くむくんだ足、またはパンとはってカチカチになった足。
逆説的に言えば、足指、足背、足底、足関節がしなやかでやわらかいことが健康の条件なのではないかと。
スマートでアーチのきれいな足にするには。
天然の竹でも良いし、量販店ではプラスチック製で突起がついたものを安価で手に入れることができる。
なにより体重を利用して踏むという動作が良い。
それは筋トーヌスによる垂直圧、安定持続圧を可能にする。
指圧の要諦に他ならない。
あまりこまめに動かさず、ジーッと踏んでいるのが効果的。
それは指圧が永年の経験から培った支え圧の原理そのもの。
体表の警戒心がとけたところで圧は内部に浸透する。
昨今の不定愁訴は肩から上に限局している。
それはVDTに代表される現代の職務形態。
さらに栄養の過剰摂取と運動不足からくる様々な症状だ。
目(眼精疲労、白内障、緑内障)、耳(耳鳴り、突発性難聴、メニエール)、鼻(鼻炎、蓄膿症)にはじまり脳血管障害まで。
現代病ともくされる花粉症もまた、その前駆ではないかと。
頭脳労働、パソコン仕事により、脳、神経、目、手指は酷使されおのずと気は頭にのぼせ上がる。
気は滞り、病む。
すなわち病気である。
野性動物はもちろん裸足で駆け回っている。
始終、石ころや木の根を踏んづけているだろう。
かわって人間はといえば、まず歩く時間がどれだけあるだろうかと。
さらに足は靴下と靴に守られ、平坦な道を歩けば、その刺激量はたかがしれている。
それでは人間の宿命的な疾患と言われる腰痛はどうかと言えば、頭に気がのぼるのに比例して下半身は気が抜けてくるのが自然の摂理。
まさしく腰抜け状態。
腰に力なく、しなやかに支えきれなくなることによってヘルニアなどズレや痛みを生じるのだろう。
イスや洋式の生活で下半身、股関節をしなやかに使う機会をほとんど失った。
さらにモータライゼーションでますます下半身に力がなくなりつつある。
相撲界のていたらくも、騎馬民族の台頭も、その要因はここにあるのかもしれない。
先日、抗うつ剤を常用している中学生をみた。
日中、パソコン、ポータブルゲーム、ほとんど運動しない。
姿勢をみれば胸椎5〜6番目辺りからぐにゃりと後湾している。
姿勢を維持し支える最低限の筋力を持ち合わせていない。
肩は前に入り、必然的に呼吸は浅くなる。
これではイキがよくなる、活力がみなぎるわけがない。
彼を例外とみるか。
僕は近い将来の日本人をみるような気がした。
日本はかつて腰肚文化が隆盛を極めていた。
職人の世界、武道の世界にとどまらず、庶民の、赤子を背負う幼子の身体感覚にさえ息づいていた。
武道の必修化が叫ばれる。腰肚文化の再興にこそ期待されるべきだ。
疲れた時、自分の足を触ってみる。
かたくこわばった足に、この理論の正しさを確信した。
青竹を踏んでいると手まであたたかくなってくる。
腰肚に力がみなぎり呼吸が深くなってくる。
おおらかに、人にも人生にも対処できるようになる。
地に足つけて生きる、ということは、机上を超えた身体の実感に根ざしている。
脳から農へ。
最近、大きな会社が倒産したらしい。
何も驚かなかった。
すでに時代が移り変わったのを知っているから。
地に足がついているか、厳格に問われる時代に。