もしもし、神様 “正しい神社”で幸せ力を高める
大川 知乃
普段なら買わないような本なのですが、目に留まったので手に取ってみました。
パラパラとめくってみる。
一度は本棚に戻すのですが、どうも手に吸い付いてくるような感触。
これは読めということか…
というわけで買うことにしました。
「日本人は無宗教だ」という言葉をよく聞きます。
それ以上に「あやしい宗教みたいだね」など宗教に対する嫌悪感をあらわにした言葉を聞きます。
これだけ町中に寺社仏閣があふれていて、結婚式は神社や教会で、葬式はお寺で、近々クリスマスを迎え、そのほか様々な年中行事を行いながら、どの口がそういうことを言うの常々疑問に思っていました。
何をもって無宗教とか、宗教はあやしいと言えるのでしょうか。
無論、宗教とは名ばかりの弱者の弱みにつけこみ金銭をからめ取る悪徳団体の問題も看過できません。
しかしそれを差し引いても、まったく現実を直視していないか、ただ世の中の無教養な風潮に踊らされているだけで、短絡的過ぎるとしか言いようがないわけです。
素直に見れば、宗教は文化そのものだし、生活と一体ではないかと思うのです。
といっても僕は既存の宗教を信仰しているわけではありません。
しかし自然や生命に対するのと同じように、神仏に対する敬意は持ち続けていたいと思うし、先祖供養の大切さも遅ればせながら最近ようやく気付き始めたところです。
今日も墓参りの帰りでした。
話を戻します。
この本では著者が感得した神の姿を視覚化しています。
天御中主大神とか天照大御神とか古くから伝えられる日本の神様です。
SFとしても十分楽しめる内容とも言えますが、導入として、または方便として、とても有効だと感じました。
宗教心や信仰心、センスオブワンダーといった感性と引き換えに、現代において主流ともいえる利己的な価値観を生み出したように思います。
神社の荒廃は現代人の感性の荒廃と軌を一にしています。
神様の姿をありありと受け止められる感性というのは、何も無いところからよりも、雛形があったほうがイメージしやすいところがあります。
それが寺社仏閣の建築様式であり、偶像崇拝、仏像の意義とも言えるのでしょうが。
ともあれ神様をいかにも人格のように表現することは、自らの感性を研ぎ澄ましていく上で、その助けになりうるものと思いました。
なぜなら気とかエネルギーとか波動と言われても、視ることのできない凡人には今ひとつピンと来なかったからです。
どうやらこの本は出たばかりのようで、これからどのような反響があるか静観していきたいと思います(ぜひ読んでみてください、そして感想を聞きたいですね)
個人的に1月中旬に伊勢神宮へ参拝する予定がありました。
その前に読んでおく必要のあった本であることは間違いなさそうです。
出来事に偶然はない。
つくづく感じる今日この頃です。