熊野三山の最後は熊野速玉大社。
珍しく朱塗りがまぶしい。
立て続けに伊勢、熊野と詣でて気付いたこと。
聖地に赴くこと。
その意義は「行こう!」と思った時から始まっているということです。
ただ行けばいいのではないし、行ったからといって何かが起こるわけでもない。
「行こう!」と心に決める、その意思とか念の力を無視できません。
その気が走り、結び、産んでいく。
言い換えれば思い、言葉、行動は分かち難く結び付いているという事実です。
また遠方まで足を運んで悟ったこと。
それは外に目を向けてばかりで、内がおざなりになってはいないだろうかということです。
先祖供養をはじめとした内にある神にいかに向き合っていくか。
そして日常の生活にいかに落とし込んでいくか。
もっと言えば、この肉体をして、自分に、世界にいかに還元していくかということです。
究極的には神も人間も振動する波動。
原子のまわりに電子がまわっている存在。
それが荒いか細かいかだけで、ひとつらなりのように感じるのです。
真善美、神の別名は「愛と感謝」で生きることを教えてくれているように思います。
この地に来て「ありがとう」が印象的でした。
アクセントが少し異なるのです。
それだけで新鮮な印象を受ける。
もっと大事に心を込めて「ありがとう」と言おうと思った。