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ここまで文明が発達しモノが豊かになった時代、食生活もバリエーション豊富に、さまざまな栄養を過不足なく摂れるのだろうと思っています。
しかし、その内実は1977年にアメリカ上院栄養問題特別委員会が大々的に実態調査した「マクガバンレポート」によって白日の下にさらされました。
『ビタミン、ミネラルの不足が目立つ。特にカルシウム、鉄、ビタミンA、B1、B6、C、Eの不足がひどい。これは典型的な若死に至るデータである。これらの栄養素の不足は、調査対象者の生活水準とまったく無関係である』
他国の問題だと無関心ではいられないでしょう。
日本人が伝統食から離れて久しいのですから。
過度な砂糖食、肉食、精製された穀物食、そして野菜、海藻不足。
これは言うならば「栄養過多栄養素不足」
飽食の時代に栄養失調が横行しているというパラドックスです。
戦後の欧米、カロリー信仰によって、炭水化物、たんぱく質、脂質の三大栄養素ばかり注目され、カロリー一辺倒になってしまったため、ビタミンやミネラルのことが置き去りになってしまった経緯があります。
戦後、西洋食文化の席巻も著しいものがありました。
これは近年、世界的に見ても稀なことといいます。
日本で人類史上経験したことのない大異変が起きていると言っても過言ではないでしょう。
日本の気候風土、日本人の体質や食性を無視したそのツケを、生活習慣病や慢性病といったもので払わされているのであれば、即座に見直したいものです。
またストレスフルで不定愁訴に悩まされる現代人にこそ、伝統食回帰つまりビタミンやミネラルなどの微量栄養素が必要ではないでしょうか。
増加する肥満も代謝がスムーズに行われないために起こっているともいえます。
代謝に関わる微量栄養素の摂取をすれば、不完全燃焼で燃え残った不要物が完全燃焼して排出されてくるでしょう。
それでは玄米や野菜を多く摂取すればいいのかといえば、それほど単純ではありません。
まず一つに現代の野菜に力がなくなったということがいえると思います。
農薬、化学合成肥料の乱用で、生命力の衰退した野菜は、実際に栄養素を調べてみても昭和26年と比較して半減しているのです。
また現代人の消化吸収力の衰えも見過ごせません。
交通機関が整備され、頭脳労働が主体となった今、積極的に運動を生活に取り入れていかなければ、必然的に運動不足に陥ります。
この運動不足に過食が加わったとき、あきらかに内臓の働き、消化吸収の力が鈍ってきます。
それは野生の動物がえさにありつくために駆け回り放浪し、ようやく摂取できるのとでは、受け入れ態勢の積極性が違います。
一日三食に間食もくまなく取り入れていたのでは、完全な空腹感はなく、ただ惰性に押し込むだけです。
これではますます内臓疲労は慢性化し、消化吸収力を欠いていきます。
乾いたスポンジほど水を吸う勢いが強いものです。
同様に完全な空腹感をつくることが消化吸収力を高める方法でしょう。
周囲に食べ物があふれ、24時間いつでも手を伸ばせます。
現代日本に生きる我々は、そうした文明の恩恵を多分に受けています。
それを復古主義的に「不自然」として放棄するのは、いささか現実的ではありません。
折り合いをつけながら生きていくことが求められているのではないでしょうか。
食生活に関しても、人間の野生としての食に帰るというよりも、伝統食の英知を学び、人間としての適応力を高めた、より洗練されたあり方があっていいと思います。
なるべく自然農法でできた野菜を選び、精白されていない穀物を主食としたいものです。
調味料も伝統製法に則った酵母や酵素などが生きた食品を摂取し、場合によっては自然の形でバランスよくビタミン、ミネラルが含まれた栄養補助食品を取り入れてみることも現実的でしょう。
なにより、おなかをすかせてから食べる食事は、心底おいしいものです。
「食べられるだけで幸せ」の感謝を忘れずに
日本は世界に誇る長寿国です。
すなわち現在80歳を超える高齢のお年寄りたちが食べていた食事が、そのまま世界に誇る長寿食になると言えましょう。
食事療法の世界では、現在アメリカで発展した分子整合医学や酵素栄養学が花盛りです。
リビングフード、ローフードなど、熱で変質しやすい酵素を摂取するために、生で食べることが推奨されています。
特に南方系のフルーツ、パパイヤやバナナなどがすすめられています。
しかし、日本のお年寄りたちは、そうしたものを盛んに口にしていたでしょうか。
きっとしていなかったと思います。
輸送手段が整備され、また生産技術の革新により、この日本でも一年中手に入れることができるようになりました、
以前はバナナやメロンは高価で病気になった時くらいしか口にできなかった、という話を聞いたこともあります。
まして四季がある日本において、暑い夏にフルーツをたくさん食べることに抵抗はありませんが、寒い冬にはなかなか手が伸びづらいものでもあります。
それでは過去の日本食では酵素が不足し、長寿食の要素を備えていなかったかといえば、決してそうではなかったでしょう。
舶来のフルーツにこだわらなくても、こたつでみかんという古き良き風習がありました。
何より発酵食品による恩恵をふんだんに受けていたでしょう。
まず日本食の基礎調味料たるしょうゆ、味噌、みりん、酒、酢などが発酵によるものです。
さらに納豆や漬物、冬季の保存食としての発酵食品には枚挙に暇がありません。
生菌とそれから産出される酵素を日本の伝統食はたくさん含んでいました。
日本には日本の変化に富んだ豊かな気候、風土と繊細な感性に培われた食文化があります。
物珍しくリビングフードやローフードと騒ぎ立てなくても、足元を見れば貴重な宝ばかりだということに気がつきます。
地域性や旬を度外視して生野菜や果物を無理して食べなくても、伝統的な日本食の価値を再発見すればいいのではないでしょうか。
また高齢者の方はそうした優れた伝統食とともに、汗水たらした労働がありました。
戦火に見舞われ、モノが豊かでなかった時代、粗食を強いられることもあったでしょう。
全身運動によるエネルギーの完全消費と、少量の食事による完全空腹がありました。
それは内臓の消化、吸収力を高めることでもあったでしょう。
どんなに体に良いといわれるものであっても、内臓に受け入れ態勢が整っていなかったならば、なんの意味もありません。
飽食を極める現代、長寿日本の伝統に見習うべきものは、より総合的なライフスタイルではないでしょうか。
「古き良きもの」というのはあるのだと思います。
一方で旧態依然とした固定観念というのもあるのかもしれません。
そうした固定観念に知らず知らずのうちに縛られて、本当に良いものに目が向かないこともあるのではないでしょうか。
職場では現在、今まで良いといわれていたものを改めて見直し、最新の科学の成果にも目を通しながら再構築していく営みをしています。
哲学と融合した食養法、カロリーを前提とした近代栄養学。
どれも妄信するのでなく、理性的な立場で自明性を疑っていきます。
躊躇なく最新の酵素栄養学や分子整合医学なども参考にします。
古きを温めて、新しきを知る。
きっと、古くて新しい、より洗練された生命観が立ち上がってくるに違いありません。
アスリートにおすすめ→山田豊文著「細胞から元気になる食事」http://www.shinchosha.co.jp/book/137231/